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カテゴリ:つちのもの( 63 )

丹波 切立鉢

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丹波の窯ではその初期から江戸末期頃までは高台を削り出す習慣はなく、先日も書いたようにほとんど全ては例外なくベタ底のものだった。
丹波の古陶の多くは食器ではなく壺や甕などの保存容器やすり鉢などの調理用具、あるいは植木鉢や湯たんぽなどの道具の類であり、現代の陶器の中心でもあるいわゆるテーブルウェアのようなものは非常に少なかったが、江戸時代も終わり頃になってようやく鉢や皿などの生産もいくらかは増えて、あるものには高台を削り出したものや付け高台にしたものも見られるようになった。
こちらの鉢はこの手のものとしては比較的時代の上がると思われる、甕の下半分だけを作ったようなやはりベタ底のものである。
実際に丹波では高台のみならず、轆轤で削るという工程自体が基本的にはなかったので大きな甕などを作るにしてもこのようなものを作った後、いくらか乾いた頃にここに土を継ぎ足して少しづつ仕上げたのだった。


by hanakari | 2019-05-25 01:36 | つちのもの

筒描 皿

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類品を見ないので時代も産地もはっきりとしたことはわからないが、おそらくは信楽の幕末−大正頃のものではないかと思う。
このようなものは見たこともなく、予想だにしないものであればこそこれを見せられたときには思わず嬉しくなった。

技術の上から言うならばこれは日本のスリップウェアだ。
石混じりの荒土を分厚く轆轤して白掛けしたものに鉄泥で線を引いているのだが鉢の曲面に応じて線は流れる。
ただし紋様した後に型作りで仕上げる英国のものとは違って、この鉢を特別なものにしているのはこの紋様の流下である。
流れることを陶工が予期しなかったはずはないと思うが、そこに果たしてどんな紋様が生まれるかという事まではコントロールできるものではなく、この思いがけない紋様には必ずや喜びを感じたのではないかという気がするのだ。







by hanakari | 2019-05-20 12:49 | つちのもの

丹波 流釉徳利

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平安末期に開業した丹波の窯では中世古窯がどこでもそうであったように壺、甕、すり鉢がその生産の中心でしたが、江戸期に入って徳利が多く作られるようになりました。
酒に限らないとしても液体の保存の需要が増したのでしょう。
江戸初期は船徳利や辣韮徳利と呼ばれる大型のものが中心で、やがて種類を増し幕末頃にはえへん徳利、蝦徳利、傘徳利、浮徳利、蝋燭徳利などなどその技法もかたちも多様なものが作られるようになりました。
明治、大正、昭和前期は地名や酒屋の屋号を筒描きした通い徳利が全盛となります。
ずいぶん広い範囲の地名を描いたものが残っていることからすると、鉄道や道路の整備によって販路が全国に拡大したのであろうということがわかります。

こちらの徳利もやはり明治頃のものでしょうか。
この姿は屋号を描いた通い徳利と同じですが、江戸期の気配を残した丹波独特のあたたかみのある白掛けした肌に鉄泥を流しています。
鉄地に黒流しなどの類品もしばしば見かけますが丹波のこの時代頃までの白は特別な魅力があるように思います。




by hanakari | 2019-05-19 10:26 | つちのもの

瀬戸 菊紋石皿

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瀬戸の石皿は江戸も割合早い時期から後期にかけて作られたようで、やがてはその末期のぼてっと重たくて無地のものとなって歴史を終えた。
石皿の仲間のような馬の目皿もやはりこの末期のもので、それらよりも時代の上がるこういう絵皿は造型もエッジが効いて轆轤も冴えている。
熟練が美の絶対条件ではないということを語るように、どちらもそれぞれにうつくしい。

石皿はその轆轤仕事がいかにも数をこなした玄人の仕事であるのに比べてその絵付けはしばしば子供や素人の落書きのような無邪気なものを見かける。
やはり同時代の瀬戸の絵皿である行灯皿の絵付けが冴えた職人絵であるのとは著しい違いがある。
行灯皿は面相筆をさらさらと走らせたリズムとスピード感があるが、石皿の絵付けは太い筆に泥絵具をたっぷりと浸して描いている。
やはりどちらもそれぞれにうつくしい。
とはいえ、無数に作られた石皿のことなので、中には非常にこなれた構図や様式にはまるものがある。
この菊紋様もやはり多くの画工によって繰り返し描かれた画題のようで遺品は多い。
皿いっぱいにおおらかに描かれた菊は実際には大輪でもなく野菊のようなものであったかもしれないが、これほど詩情を誘う陶画もないのではないかという気にもなる。
もちろん瀬戸のあたたかみのある陶土や、いつも鉄と合わせて用いられる穏やかな呉須の色によるところも大きいようにも思う。


by hanakari | 2019-05-18 10:56 | つちのもの

明石 筒描土瓶

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今では明石は焼物の産地としてはあまり認識されてはいませんが往時は西日本を代表する土瓶の産地であったといいます。
こちらはそれを証するにふさわしいいっちんで鳳凰を描いた大土瓶です。
これ一つを見てもその仕事の成熟具合が忍ばれます。



by hanakari | 2019-05-16 17:23 | つちのもの

白丹波 壺

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丹波の陶器の底は平安末期のその初現の頃から昭和になるまでほとんど変わりなくこのような作りなのです。
手びねり紐作りから轆轤成形へ、無釉の焼締から様々な施釉陶へ、穴窯から登り窯へと様々な技術革新が行われはしても灰を撒いた轆轤の上にうつわひとつ分の底土を叩いて平たく伸ばして作り始めるというこのやり方だけは何も変わらずに800年以上も続いたのでした。





by hanakari | 2019-05-16 17:15 | つちのもの

琉球赤絵 マカイ

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琉球時代の古い陶器にはやきものに興味を持った最初の頃から大変心惹かれていろいろと折りがあれば手許に集めています。
しかしながら、こと赤絵のうつわは全体からするとかなり少ないようで望んでもなかなか出会うことはありませんでしたが、数年前に縁あってこのような作行の優れた琉球赤絵を代表するような梅に鶯のマカイと結縁して大変嬉しく思っています。
by hanakari | 2017-01-05 00:13 | つちのもの

丹波 流釉 甕

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このような丹波の甕はたくさん今も残りますが江戸前期の赤土部は評価されても中期以後のものはあまり人気のあるものではありません。
作り方も焼き方も同じようなものですが何かが変わったのだろうということは作り手の立場から感じます。
研究も不十分な現状でははっきりとしたことは何もわかりませんがきっとそれは窯の構造ではないかという気がするのです。

それはさておき、中期以後発達したのはこのような竹筒を用いた行儀の良い流釉で、これにはまた独特の魅力があると思います。
by hanakari | 2016-04-14 09:40 | つちのもの

赤絵のくらわんか 五寸皿

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たいへん惹かれているものの内のひとつが赤絵のくらわんかです。
赤絵のくらわんかについては以前にここで紹介した小皿の時にもあれこれ書きましたが、最近手に入れたのがこちらの五寸皿です。
それ自体が割合めずらしい赤絵のくらわんかとしては、この手のものは何度か見かけたので、数が多いタイプではないかと思います。
むしろこれこそが赤絵のくらわんかであるとも言いたいほどにくらわんか的な気配も濃厚な絵が描かれていますが、一方で造形としては窮屈で堅くはないものの、かなり薄手で繊細な作りはいわゆる普通のくらわんかとはまるで違うものなのです。
これはつまり産地や時代が違うと考えるのが妥当であって、こういう赤絵のくらわんかの正体は何であろう、伊万里の初期赤絵の一様式ではないかとかあるいはどこか地方の窯の生まれではないかとかいろいろ想像していましたが、これも最近ある方に教わったことから調べてみれば、長崎の長与という窯こそがこういった赤絵のくらわんかの生まれ故郷のひとつではないかという気がしています。

ものがうつくしいということだけで充分といえば充分には違いないのかもしれませんが、うつくしいものがあるのならそれが果たして何時何処でどのようにして生まれてきたのかということを知りたいし、それを考える過程や解明した結果からその先が見えてくることも多いので、やはり感覚だけで終わらずに知の裏付けもしてゆきたいとは思うのです。
知識で目を曇らせることをいつも戒めたあの柳宗悦も「知リテ ナ見ソ 見テ 知リソ」という言葉を残しています。
by hanakari | 2015-10-12 07:24 | つちのもの

丹波 赤土部 甕

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赤土部の甕は以前にもひとつここで紹介したことがありますが大変好きなものです。
こちらは大きさもあって立派なもので継ぎ土の跡の段差もアクセントとなっているとともに、この打掛した流釉もこの時代の丹波としてはちょっと珍しいものかとも思いますが、それ以上に目を惹くのはこの赤く冴えた発色でしょう。
赤土部とは江戸時代になって様々な技術革新とともに使われるようになった鉄分の多い泥を主原料とした釉薬ですが、残されたものを見れば暗く沈んだ茶色いものも多くその名が示すとおりこのように赤く美しく発色するのは実は割合としては少なかったのではないかと思われます。
こういう釉は原料とその調合とともに焼成の時の条件や冷め方でかなり結果にばらつきが出るかと思われるのである時代のある窯場固有のものを後になって再現することは実際には不可能であるように思います。
同じような泥を原料とした釉薬はこの時代に信楽や越前や各地の窯で盛んに使われましたが、丹波のある時代の一部のものに見られるような美しい赤は他では見ることが出来ないものでした。
赤くしようとして赤くするのは極めて困難なことで、またそういう意識がそう働いたとも思えないような雑器の仕事の中での出来事です。
おそらくはこの土地の原料、山の傾斜や湿度、薪の種類や焚き方などの条件が偶然揃った時にこの奇跡が起こったのではないかという気がするのです。
丹波でも17-18世紀前半のみに見られるもので江戸中期になればこの調子の赤土部は失われてしまいました。
きっと何かの条件が変わったのでしょう。






by hanakari | 2014-01-25 09:00 | つちのもの