タグ:琉球 ( 7 ) タグの人気記事

琉球赤絵 マカイ

a0038380_23591653.jpg

琉球時代の古い陶器にはやきものに興味を持った最初の頃から大変心惹かれていろいろと折りがあれば手許に集めています。
しかしながら、こと赤絵のうつわは全体からするとかなり少ないようで望んでもなかなか出会うことはありませんでしたが、数年前に縁あってこのような作行の優れた琉球赤絵を代表するような梅に鶯のマカイと結縁して大変嬉しく思っています。
[PR]
by hanakari | 2017-01-05 00:13 | つちのもの

壺屋 佛花器

a0038380_6173371.jpg


琉球時代に壺屋で焼かれた佛花器です。
めりはりの効いた轆轤のかたちに独特の温かみのある白掛けをして飛びかんなを当てたあと色を差して仕上げています。

今では膨大に作られている沖縄の陶器を扱うお店もたくさんありますし、古いものを見つけることもそれほど難しくもありませんがかつては限られたお店にしか沖縄の陶器は置いていませんでした。
ましてやこういう古いものについては濱田庄司旧蔵の売立があると聞いては始発の新幹線に乗り、九州のお店に多くあると聞いては遠くまで訪ねてたくさんのものを見せて頂いたものです。
どんなに好きでもそういう機会を逃してはまず手にすることが出来るものではなかったのです。

ところが情報も物流も非常に発展した今ではいくらでもよいものを見つけて数日後には沖縄から届く時代になりました。
しかしせっかくよいものはあっても自分にはそう多くを求める力はありませんが、それでもとある沖縄の道具屋さんからいくつかのものを送っていただき大変感激したのです。
心躍らせて開ける荷物の中にはいつも郷土のお菓子や泡盛の小さな瓶などが入っていました。
品物がよいのはいうまでもありませんがそういう心遣いをも忘れることのない正直で親切な方でした。

この佛花器もそのようにしてぼくのところに届いたものです。
人間の生涯よりもはるかに長い器物の生命は多くの人の手から手に守り伝えられているのです。
こしらえた陶工はすでになく、琉球のどなたかの佛檀か墓前に供えられた数百年の後に役目を終えたこの佛花器を京都まで送ってくださった方もまた入寂してしまわれました。

蓮を手向けて多々のご好意に感謝と共にご冥福をお祈りしたいと思います。
[PR]
by hanakari | 2011-09-29 07:15 | つちのもの

輪線紋 皿

a0038380_2383529.jpg

これはぼくが沖縄のやきもの好きなのを知ってあるうつわ屋さんが在庫の整理の折に下さったものですからせいぜいこの10数年の間に作られたものだと思います。
白掛した素地の青みを帯びた焼け上がりや呉洲の色の冴え方からすれば還元気味の炎で焼かれたものかと思いますが、こういう焼きのものは古い壺屋の上焼にはほとんど見られないものです。
薪の窯のようですからたぶん読谷辺りのどこかで作られたものではないかと思うのですがおそらくは窯の構造が違うのでしょう。
先日書いた価値を再発見後の自覚の仕事とはこういうもののことで、呉洲と鉄あるいはマンガンによる三彩の装飾も端反りのかたちも蛇の目に抜いた重ね焼きもすべてむかしそのままではないにしても正しく琉球時代からの仕事の伝統を受け継いだものです。
沖縄では幸いこういう立場に立って仕事を続ける方が少なくないようで昔に劣らない立派なものがたくさん作られているようですが、全国的に見ればそんなことはむしろ奇跡的と言わねばならない状況なのです。
こういった沖縄の現代のやきものに需要があるのは琉球的であればこそという現実に目を向けなければなりません。
もしもそれが今の信楽とか益子のようにどこにでもありそうなものばかりになったときには残るのはほんとうに力のある個人だけで、沖縄のやきもの全体は果たして今程に評価されるでしょうか。
地場産業であれば時代時代の需要に応じてその生産体制も製品も移り変わってゆくことは必然なのですが、かといって需要が落ちたからといって過去の資産を簡単に捨て去ってしまうのはいかにももったいないことだと思わない訳にはゆきません。
よりうつくしいものが出来るのならばそれにこしたことは無いのでしょうが実際には過去を越えることは容易ではないのです。
しっかりと学んで守り伝えてゆく中で現代に過去の資産を生かす方法はないものかと思います。
[PR]
by hanakari | 2009-07-16 23:32 | つちのもの

点紋三彩 カラカラ

a0038380_18372970.jpg

この注ぎ口の付いた独特な姿のうつわは泡盛のための酒器でカラカラと呼ばれるものです。
色彩も本土のやきものにはあまり見ない華やかなもので、やや黄色っぽい白掛の上に打った呉須の青と銅の緑そして鉄かあるいはマンガンによる褐色の点紋が珊瑚の透明釉に滲んで効果的です。
薩摩の龍門司や苗代川の窯でもカラカラはたくさん作られていて芋焼酎に使われるといいますからどちらかからどちらかへと伝わったものではないかと思います。
たしかに龍門司でたくさん作られたあの三彩のカラカラとこういうものとは密接な関わりがあるということは間違いないように思うのです。
タイから泡盛と共に伝わったというほどに古いものを見かけないのであるいは薩摩からこの名称と共に伝えられたものかもしれません。

現代の沖縄陶にも立派なものはたくさんありますがそれはすでに再発見された後のもので、伝統への自覚と誇りがなければ現代にあのような仕事は続くわけもありません。
これが無いために失われてしまった仕事は各地で少なくないのです。
そういう仕事は尊いものですが、同時にたちの悪い事に琉球風のおみやげ陶器もたくさん作られました。
一方は用いるために作られ、他方は売らんがために作られた誤魔化しものでここはしっかりと区別して見る必要があると思っています。
写真のものはかなり使い込まれた跡がありますが、おそらくは琉球時代ではなく沖縄になってからのものではないかと思います。
そういう伝統文化の再発見以前、琉球以来の伝統がそのまま残っていた明治から昭和前期に掛けての仕事ではないかと思うのです。


これは蛇足かもしれませんが、作り手として注目したいのは本体に白泥を掛けた後に注ぎ口を取り付けていることです。
こんなことは陶器の作り手以外からすれば特に意味のあることでもないでしょうが、地方地方にいろいろな技術の系譜があったということを書き留めておきたいのです。
[PR]
by hanakari | 2009-07-14 19:54 | つちのもの

掛分 渡名喜瓶

a0038380_2133647.jpg

角をしっかりと決めた姿がやはり印象的なこのかたちのものも先に挙げたものと同じく渡名喜瓶と呼ばれています。
時代はどちらも同じ頃です。
肩から上は黒釉に、腰は珊瑚を用いた独特の柔らかい透明釉を用いて、真ん中は土肌そのままに輪線を陰刻して黒釉を流し掛けしています。
渡名喜瓶のかたちの原型は佛塔にあるのではないかという気がします。
[PR]
by hanakari | 2009-07-12 21:43 | つちのもの

飴釉 渡名喜瓶

a0038380_1225666.jpg

琉球のやきものには他には見ない独特な姿のものも数多くありまた独特の名前が付けられているものも少なくありません。
轆轤の造型としてはやや異形な感じがする程にメリハリのある姿をした渡名喜瓶と呼ばれているものがあります。
轆轤と言うのは基本的には土は外側に膨らむほうに力が働くものですからよほどかたちへの強い希求が無ければこんなかたちが生まれてくる訳はありません。
佛具というのか祭器というのかそういう祈りのかたちであればこそ何らかの強い想いが姿したのでしょう。
渡名喜瓶もまた対瓶の一種ではないかと思うのですが渡名喜島と何か関係があるのではないでしょうか。
18世紀後半から19世紀前半と言われるこの渡名喜瓶はなかなかの優品で若い頃から何度も沖縄に行かれていた濱田庄司さんの旧蔵品です。
濱田さんは沖縄の文化から多くの栄養を受け取り、そして同時に当時の沖縄に対して大きな影響を残されたと思います。
[PR]
by hanakari | 2009-07-12 01:36 | つちのもの

泥釉 瓶子

a0038380_1012258.jpg

琉球文化はその地理的条件の必然でしょうか東南アジアからの南方系のものと中国大陸からのもの、そして日本本土からの影響が色濃く感じられます。
やきものを見てもそれぞれの影響がはっきりとしたかたちで残りながらも同時にそれはただそのままではなく成熟した土地独自のうつくしさへと昇華しているところにその魅力があるのではないかと思うのです。

ぼく自身も琉球のやきものには早くからずいぶんこころを惹かれながらもなかなか資料は集まらないでいたのですがこの瓶子はまだ学生の頃に見つけることが出来て歓んで求めました。
琉球独自の姿をしたこういう袴付きの瓶子は一対で霊前に設えるものでしょうか信仰の厚い彼の地ではかなりの数が作られたようで今でも残るものは少なくありませんが、このような泥釉をまとった細身で厳しい姿のものはおそらくかなり時代もさかのぼり、あるいは1682年に近在の窯が壺屋に統合される以前のものではないかという気もします。
[PR]
by hanakari | 2009-07-11 09:09 | つちのもの