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丹波 赤土部 甕

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江戸初期頃の丹波の甕です。
やきものに興味を持ったころ大変心を惹かれ憧れたのは江戸時代の丹波の古陶でした。
きっかけは岩波文庫版の『工芸文化』の挿絵にあった白地に黒を流した蝋燭徳利でした。
丹波に興味を持って柳宗悦の『丹波の古陶』を繰り返し読んだり、京都からはそう遠くもない篠山の丹波古陶館や丹波立杭に何度も通ったりしているうちに江戸末期の白掛のものにも増して夢中になったのがこういう江戸初期の灰被きのあるものでした。
中でも吉兵衛作とも言われる鮮やかな赤土部に独特の三つ山形に黒く釉を流し、さらに窯の灰をたくさん受けてなんとも玄妙な窯変のあるこういうものに大変憧れるようになったのです。
実物に接する機会もなく掴みどころのなかったスリップウェアとは違い、丹波の古陶は実際に作られた土地に通い現物もたくさん見ることができたし、柳宗悦などの丹波関係の本も読み、実際に自分が陶器を作ろうとした時に実際的な部分や理念に多大な影響がありました。
後に大好きな河井先生と古丹波の接点に居られた清水俊彦師に師事したこともごく自然なことでした。
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# by hanakari | 2012-01-20 20:06 | つちのもの

壺屋 佛花器

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琉球時代に壺屋で焼かれた佛花器です。
めりはりの効いた轆轤のかたちに独特の温かみのある白掛けをして飛びかんなを当てたあと色を差して仕上げています。

今では膨大に作られている沖縄の陶器を扱うお店もたくさんありますし、古いものを見つけることもそれほど難しくもありませんがかつては限られたお店にしか沖縄の陶器は置いていませんでした。
ましてやこういう古いものについては濱田庄司旧蔵の売立があると聞いては始発の新幹線に乗り、九州のお店に多くあると聞いては遠くまで訪ねてたくさんのものを見せて頂いたものです。
どんなに好きでもそういう機会を逃してはまず手にすることが出来るものではなかったのです。

ところが情報も物流も非常に発展した今ではいくらでもよいものを見つけて数日後には沖縄から届く時代になりました。
しかしせっかくよいものはあっても自分にはそう多くを求める力はありませんが、それでもとある沖縄の道具屋さんからいくつかのものを送っていただき大変感激したのです。
心躍らせて開ける荷物の中にはいつも郷土のお菓子や泡盛の小さな瓶などが入っていました。
品物がよいのはいうまでもありませんがそういう心遣いをも忘れることのない正直で親切な方でした。

この佛花器もそのようにしてぼくのところに届いたものです。
人間の生涯よりもはるかに長い器物の生命は多くの人の手から手に守り伝えられているのです。
こしらえた陶工はすでになく、琉球のどなたかの佛檀か墓前に供えられた数百年の後に役目を終えたこの佛花器を京都まで送ってくださった方もまた入寂してしまわれました。

蓮を手向けて多々のご好意に感謝と共にご冥福をお祈りしたいと思います。
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# by hanakari | 2011-09-29 07:15 | つちのもの

ぼてぼて茶碗

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出雲といえば松平不昧公のお膝元故に茶の盛んな土地柄だと聞きますが、いわゆる茶道とは別に民間の軽食としてお漬物やご飯を入れたお番茶を大きな茶筅で混ぜたぼてぼて茶というものが根付いていたのだそうです。
布志名の窯を中心にあちこちで近在の多くの需要に応えて作られたというそのぼてぼて茶の茶碗は豊かに張った丸い姿にぽってりと穏やかな緑釉をまとって不昧の時代のどんな茶陶よりもうつくしいものであるように感じられます。
緑釉の他にはまれに白釉のものもあるそうで、後年には宝珠の陰刻のある低火度の黄釉のものも多く作られたようですが、自分の知る限りは安来の町からほど近い母里の窯でなかなか立派な緑釉のものが二十数年前までは作られていました。
当時はまだ母里ばかりではなくこの地方の幾つかの窯で作られているのを見ましたがここのものが最も風合いもうつくしく、また古格のある姿を留めていて歓んでひとつ求めて帰りました。
母里には大きな登り窯があって仕事場の外には釉を入れた甕が並んでおり、古い時代の窯場の雰囲気をそのまま残した美しい場所でした。
山陰にはたくさんの民窯がありますがその多くは民藝派の作家的な作風の影響を受けた窯が多い中で、ここでは仕事も往時のままに続いているようなものばかりで手水鉢や土瓶など現代らしからぬ気配のものが作り続けられている夢のような窯だったのです。
そんな母里の窯を守っていたのはもう若くはない一人の陶工でしたが後継が育たずその仕事は絶えてしまったと聞いています。
このようにして江戸期以来のたくさんの窯が失われて来たのでしょうが、無理も無いこととはいえなんとも惜しいことだと思わないわけにはゆきません。

松江のobjectsさんとのご縁が出来てこの母里の窯のことを思い出しました。
画像は母里の窯のものではないと思いますが古い時代のぼてぼて茶碗です。
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# by hanakari | 2011-08-29 02:27 | つちのもの

くろもん 漏斗

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この季節になれば大きな薬缶に麦茶を作って瓶に入れてバケツや冷蔵庫で冷やしていますが薬缶から小さな口の瓶に注ぐのにこの漏斗をつかっています。
薩摩焼のうちのくろもんと呼ばれる黒無地の陶器ですが、くろもんの多くは装飾も皆無のただしっかり頑丈で役にたてば良いとばかりの素っ気ない作りのもので、それがただ陶器の骨格ばかりに削ぎ落とされたような現代的なうつくしさとも感じさせられます。
もちろん粗末な実用品のことですから冴えた美意識が削ぎ落したわけではなく初めっから何も余計な物が加えられることがなかったということなのですが、鑑賞の側からするとだからこそなおさらデザインの作為もない陶器の精のようなものばかりがかたちしたうぶなままのこの姿に打たれるのです。
現代の陶器であれば表現としては削ぎ落した美を捕まえることはできても、作者はその美意識そのものを削ぎ落とすことは出来ません。
ここに天然物と人工物の決定的な違いがあると思います。

現代では手仕事のやきものはテーブルの上で使ううつわや棚や床の間に飾るような花瓶などやそんなものばっかりになってしまいましたが昔はすり鉢、味噌甕、湯たんぽ、しびん、水甕、野壺そういう荒物の粗陶器が暮らしの中にあったし、陶工たちの大多数はそういうものを作る人達だったに違いないのです。
この写真の漏斗も現代ではあまり陶器で作られることはなくなったものではないかと思いますが、このようにすくっと立てて眺めれば無骨ながらもなんとも優美なうつくしい姿をしています。
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# by hanakari | 2011-07-18 05:42 | つちのもの

コゴミと池本忠義さんの面取白磁鉢

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このあたりではコゴミは4月のものだが北海道大雪山の麓から届いたというコゴミを御裾分けしてもらったのでお浸しにして頂いた。
フキノトウやワラビなんかでもそうだがこういう季節のものを頂くというのは実際の美味しさはもちろんのことだがさらにそれ以上のありがたみが嬉しい気がする。

この白磁は砥部で仕事しておられた池本忠義さんの御作で10数年ほども前のもの。
池本さんが大阪の個展で来られた折に「気難しい人で弱っているので話し相手に来て欲しい」と画廊側に会期中に二度ほど呼び出されてお目にかかった。
仕事は少し知っていて尊敬もしていたので一体どんな難しい人が待っているのだろうかとちょっと楽しみに行ってみると、取っ付きにくいような気難しさと人懐っこさが同居したずいぶん癖の強い妙な人だとも思ったが面白い方だった。
風貌はずいぶん老人に見えたが経歴を見るとあんがい若くて驚いたこと、会場から一緒にちょっと外へ出て二人で街を歩きながら「少し待っていて」と通りかかったスーパーに入って豚足を買って「膝の関節が痛いときはこれですぐに治るんだ」というようなことをおっしゃったなんということもない一場面を思い出す。
鯰の絵付けの皿などを作られていたが絵のない白磁のほうがずっと好きだと言うとちょっと不満そうな顔をされたが、同業のはるかに後輩なのでたとえ生意気でもかわいがってくださったのかもしれない。
鈴木繁男さんのことや砥部には温かみのある独特の良い磁土があることなどを話して下さった。
そういう材料を今では珍しく薪ののぼり窯で焼いた白磁の風合いは美しかった。
この朝鮮風の厚く轆轤で挽いてざっくり面取った鉢はその時にひとつ選ばせていただいたものだが以来気に入って使っていたし、つい折を逃して年月は経っていたもののいつか砥部に訪ねるのを楽しみにしてもいたのだ。
窯に遊びにおいでと誘っていただいたり何度か展覧会のDMを頂いたり年賀状のやりとりもあったが、どちらかの忌中を機にいつかそれも絶えてしまい、以来お目にかかる機会を無くしたままご無沙汰していたのだが昨秋思いがけないところで氏が亡くなった事を聞いて驚いた。

訃報を聞いて以来ずっと食器棚の目に付くところに置いていたがふとこの季節の食べ物を手向けてみたい気になってコゴミを盛りつけてみた。
写真はたぶん池本さんもお好きだっただろうという気がする朝鮮の膳の上で。
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# by hanakari | 2011-06-18 19:28 | たべもの