<   2011年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

塩釉の湯たんぽ

a0038380_6342936.jpg
東洋のやきものの内には荒物の粗陶器として甕器の系統がありますが、一方西洋の粗陶器としては一連の塩釉のやきものがあります。
塩釉というのは窯詰め前に施釉する普通の釉薬とは違ってむしろ窯を焚き上げるための薪の灰がうつわの表面に溶け付いた自然降灰釉のように高温になった窯の中に岩塩などの塩を投げ込んで揮発した塩の成分が土と反応したものです。
塩釉といえばドイツの髭徳利がよく知られていますが、塩釉は高火度で頑丈であることと比較的手間のいらない工程のためにドイツを発祥としてその後はヨーロッパ各国やアメリカでも壺や甕やジャグなどの生活雑器が数多く作られたようです。
この湯たんぽはオランダで見つけられたとのことですが西洋のやきもの史に詳しくない自分にはいつごろのどこのものかはわかりません。
須恵器の提瓶にも似たこの不思議なかたちとマグカップのような持ち手のつけ方には塩釉独特のこの肌合いと共にいかにも西洋の陶器らしい特色があります。
[PR]
by hanakari | 2011-04-05 07:15 | つちのもの

多々良 壺

a0038380_22494765.jpg

この小さな広口壺はおそらく佐賀県の多々良のものではないかと思います。
このあたりの山々には桃山時代から江戸のかけての無数の窯跡が残されておりそれらは今では総称して唐津焼としてよく知られていますが中でもこの多々良の窯はいかにも数寄者好みの唐津とは少し趣の違った窯としてはっきりとした特色があります。
一般的な唐津の窯が主に小物中心で食器や茶器などを作っていたのに対してこの多々良の窯は主として壺、甕、ゆたんぽなどの粗陶器を中心とした仕事なのです。
かたちも叩き作りの轆轤仕上げで作り、釉薬も藁灰や土灰などの色彩感や艶のある釉薬ではなくもっぱら不透明な泥釉を用います。
茶色や黒に焼けるこのくすんだ泥釉の上に時折はこのように泥に灰を混ぜたと思われる黄色っぽい釉薬を流し掛けるくらいでなんとも素朴な仕事なのです。
江戸期になって伊万里の磁器の小物類が普及するにつれて唐津の窯に変化があり、白泥や銅緑釉を使ってさらに華やかな甕や大鉢などの荒物が作られるようになっても多々良ではそのようなものは作られなかったように思われます。
同じ地域で同じく朝鮮系の人達によって始まったはずの両者にどうしてこのような違いがあるのかといえばほとんどが朝鮮の沙器系の技術者による窯であるのに対して多々良は甕器系の技術者による窯だからです。
多々良の窯が他の唐津とは明らかに陶脈を別にする、ほとんど朝鮮の甕器そのままの作風を昭和前期までは伝えていたということは、おそらくは秀吉による文禄慶長の乱の頃以来ほぼ変わらないままに地元の需要に応えた粗陶器の仕事を続けてきたということだと思うのです。
茶器を求めて朝鮮系の陶工を招いたのだとすればそれは沙器系の陶工であらねばならないはずで甕器系の陶技を身につけた彼らはどのように遇されたのでしょうか。
甕器系の窯は日本では非常に少なくてここの他には薩摩の諸窯や上野(かみの)の窯が知られているくらいではないでしょうか。
あるいは丹波の窯にも朝鮮系の技術がやきもの自体には割に目立たないかたちで入っているように思いますが、これもやはり甕器系技術に繋がるもののように思います。(東海系瓷器をルーツにした丹波の陶脈は実際には非常に複雑だと思います)
多々良の窯の仕事は数十年前まで昔そのままに残っていたため今でもたくさん当時の品物が残されていますが作陶家からも愛陶家からもたいして尊敬も評価もなされていないのが実情ですが、自分などからすればとても作ることが出来ないような立派な大甕をはじめそのことごとくは極めて骨格の確かな仕事ぶりでもっともっと評価されて良いはずのものだと思われてなりません。
現代の華奢な陶器の好みからしたら多々良はいかにも地味で取っ付きにくいものには違いないとも思いますが、それだけに現代の作に一番欠けているものがはっきりと示されているのも多々良や苗代川などの甕器系の窯ではないかと思うのです。
自分の仕事もやはり沙器系の技術で蹴轆轤で水挽きして灰を用いた釉薬を掛けるものが多いのですが、もっと甕器の系譜を学びたいと思っています。
[PR]
by hanakari | 2011-04-02 23:53 | つちのもの