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馬の目皿

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たくさんの目玉が見つめているようなこの皿は明治頃から作られはじめたのではないかと思われる瀬戸の馬の目皿と呼ばれるものです。
かなり厚手に轆轤をひいたがっちりとした作りはほぼ同時代にやはり瀬戸で作られた無地の石皿とも似ており、またおそらくは用途も需要も共通のものではなかったかと思うのですが、はたしてどういうところからこの印象的なデザインが生まれてきて定着したのかはわかりません。
今に残る品も相当多数あることからすれば長年にわたってかなりの数の馬の目皿が当時焼かれていたことは間違いないと思います。

この馬の目皿については大正末に現地で発見したスリップウェアと共に英国から戻ってきた濱田庄司とそれに大いに感動した河井寛次郎が京都市内の魚屋で使われていた馬の目皿を見付けて大変惹かれたといいます。
その時に二人はスリップウェアの日本版のような皿であると思ったそうですが、実際に数年の後にスリップウェアの技法をたくさん手がけていた河井寛次郎が馬の目紋様のスリップウェアも作っています。
そのころまでは普通に暮しの中で馬の目皿は用いられていたのです。

写真の皿はぼく自身がまだ自分で陶器を作ってみようともしていないがやきものに興味を持ち始めた頃に東寺の朝市で見つけて手に入れたものです。
大学に行く前に早朝から一周りして、まだまだやきもののこともこういう古いもののことについても知識もない頃に玉石混交の様々なものを手に取って見れるよい機会でした。
すでに二十数年も昔のことになってしまいましたが当時はたくさんの露天がひしめきあう市を一周りすれば今思ってもいろんな貴重なものがありましたし、特別珍しい訳でもない馬の目皿などは幾つか見つかったのです。
そのなかでも釉薬の調子や紋様の穏やかな描きぶりが気に入ってこれを選んだことや、当時の自分としては不慣れな、そして思い切ったこの買物のためにいっしょに行った友人がずいぶん根気よく値段を交渉してくれたことを思い出します。
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by hanakari | 2011-01-28 02:58 | つちのもの

赤絵のくらわんか 小皿

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くらわんかというのは肥前磁器の一様式ですが有田ではなく波佐見を中心に作られたと言われる粗製磁器のことです。
ところが実際には窯跡を歩けば波佐見に限らず武雄周辺の窯などでもたくさんのかけらが落ちていたりするので産地は案外広かったのではないかと思います。
いっぽう赤絵というのは一旦焼き上げた白磁や染付にさらに低火度で上絵を焼き付けるわけですが、必ずしも磁器そのものを焼いた場所で絵付けをして焼いたとは限らず別の上絵付け工房に運んでの作業の可能性もあると思います。
上絵付けは比較的規模の小さな設備で作れるしその作業の性質上ロスもそれほど多くないので必然的に赤絵の窯跡と陶片が発見される場合は多くないのではないかと思います。
そんなわけで赤絵のくらわんかの産地ははっきりと分からないのです。(考古学的な発掘調査も進んでいるのでもしかしたら自分が知らないだけで産地のうちのいくつかはすでに判明しているかもしれません)
染付のくらわんかと呼ばれるものは割に特色のはっきりしたわかりやすい一定の様式のものだと思うのですが赤絵のくらわんかについてはそう一筋縄ではゆきません。
だいたい赤絵のくらわんかというもの自体がそれほど多いものでもなく、またいくつかの系統のものをかなり感覚的に分類しているに過ぎないので肥前各地の赤絵磁器のうちのくらわんか的(これもずいぶん感覚的ですが)な特徴の絵付けのものの総称として捉えるのが適切ではないかと思うのです。
実際には染付のくらわんかそのものに幾らかの赤絵を描き加えたまったく染付のものと同系統のくらわんかもあるにはありますが、むしろ赤絵のくらわんかのその多くは染付のくらわんかとは別系統のものであると思うのです。
轆轤のくせも釉薬の焼けあがりも違うということはその産地や時代が違うと考えるほうが自然だと思います。

写真のものも時代はおそらく17世紀後半から18世紀頃かと思いますが裏側は伊万里では初期以外にはほとんど見られない鉄釉が掛けられているなどやはり普通のくらわんかや伊万里とはちょっと違うもののように思えます。
無釉の重ね焼きの跡を緑で塗りこめて蓮弁文を置き、周囲は草花紋でまとめたこの可憐な小皿も今のところ自分の暮らしにはどうも馴染まずにただ眺めるだけなのはもったいないことですが、うちにあるものの中では珍しく華やかなものなのでこのブログの新年の一つ目に紹介する気になりました。
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by hanakari | 2011-01-14 03:42 | つちのもの