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Charles J. Lomax『Quaint Old English Pottery 』

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 これは1909年にロンドンで出版されたCharles J. Lomax著の『Quaint Old English Pottery 』です。大変貴重なこの本を最近手に入れることが出来たのでここに紹介します。
 柳宗悦の「スリップ・ウェアの渡来」(1933)によると彼が丸善の2階でこの本を見つけたのは1913年のことだそうですが、この本は当時たいへん高価だったらしく、まだ学生の柳は大変にこころを惹かれながらもこれを買うことが出来ず、また柳よりもやや早くこの本を見つけていた富本憲吉もやはり高価なこの本を買えなかったといいます。しかしやがて富本は展覧会の売り上げで柳と二人丸善に行きようやくこの本を手に入れたのです。このときの様子を「富本が其大きな本を嬉しそうに抱えて持って帰る姿を今もありありと思ひだす」と柳は記しています。
 この話の後日談は濱田庄司の「英国の軟陶」(1970)によると、富本は日本橋の丸善でこの本を25円で求め、このため奈良へ帰る旅費が不足したため当時上野に住んでいたバーナード・リーチに借りに訪ねたのですが、これを見たリーチがすっかり興奮して「旅費は貸すから本はぼくに預けて置け」と言ったとのことです。
 リーチは日本で偶然にこの祖国のやきものを知るところとなり、直接的に影響を受けた沢山のその種のやきものを作りました。こういうわけでリーチ初期の仕事のなかには瑞々しいスリップウェアの名品がたくさん残されたのです。このリーチのやきものを通じて日本にはスリップウェアの種がまかれました。ぼく自身としても最初にスリップウェアに惹かれたのはこの時代のリーチの作品でした。この本はその後柳や石丸重治も求め、1916年に濱田も丸善の最後の一冊を手に入れたそうで、柳の前掲文によると「日本には5冊くらいは来ているかと思う」とのことです。ちなみに柳旧蔵の本ならば当然駒場の日本民藝館に残されているはずではないかと思うのですが、民藝館所蔵本としてしばしば紹介されているものは富本憲吉自身の手による書き込みのあることから考えてもおそらくは柳旧蔵本ではなく富本旧蔵の本だと考えられるのですがこのあたりの経緯はわかりません。

 ところで相当な資産階級であった彼らにとっても高価だったというこの本ですが、当時の物価について少し調べてみると25円というのは一般的な労働階級の家庭の平均的な月収にほぼ近いので、やはりこういう書物を買うことは相当な富裕層でなければ叶わない事だったと思います。まだ柳やリーチや濱田たちさえスリップウェアを知らなかった、つまりは日本中で誰ひとりとしてスリップウェアに興味もなかったであろうこの地点でこういう大変高価な本が5冊ほども丸善に輸入されていたということは、こういう外国の最新の文物をいち早く教養として取り入れようとする裕福な知識人たちが一定数いたということでそのことにも驚かされます。
 ちなみに手元にある本は丸善が販売したものではなく、丸善と同じくやはり早くから洋書を輸入していた神田の一誠堂のシールがついていることから考えるとその当時でさえ柳の想像以上の数が日本に入って来たのではないでしょうか。スリップウェアが日本で認識されるきっかけともなったこの本ですから今ではやはり相当数が外国の古書市場から輸入されているのではないかとは思いますが、自分としては手に入れて初めて以前から気になっていたこの本の内容を確認することが出来ました。
 ここで紹介されているのはToftやSimpsonたちの手による飾り皿などが中心で、無銘の日用雑器であるオーヴン料理に用いるような縞や格子や抽象紋様の鉢類は全く出てきません。またスリップウェアの表記も現在一般的になっているslipwareではなくslip wareが使われています。
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by hanakari | 2010-04-16 01:56 | つちのもの