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カテゴリ:つちのもの( 57 )

琉球赤絵 マカイ

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琉球時代の古い陶器にはやきものに興味を持った最初の頃から大変心惹かれていろいろと折りがあれば手許に集めています。
しかしながら、こと赤絵のうつわは全体からするとかなり少ないようで望んでもなかなか出会うことはありませんでしたが、数年前に縁あってこのような作行の優れた琉球赤絵を代表するような梅に鶯のマカイと結縁して大変嬉しく思っています。
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by hanakari | 2017-01-05 00:13 | つちのもの

丹波 流釉 甕

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このような丹波の甕はたくさん今も残りますが江戸前期の赤土部は評価されても中期以後のものはあまり人気のあるものではありません。
作り方も焼き方も同じようなものですが何かが変わったのだろうということは作り手の立場から感じます。
研究も不十分な現状でははっきりとしたことは何もわかりませんがきっとそれは窯の構造ではないかという気がするのです。

それはさておき、中期以後発達したのはこのような竹筒を用いた行儀の良い流釉で、これにはまた独特の魅力があると思います。
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by hanakari | 2016-04-14 09:40 | つちのもの

赤絵のくらわんか 五寸皿

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たいへん惹かれているものの内のひとつが赤絵のくらわんかです。
赤絵のくらわんかについては以前にここで紹介した小皿の時にもあれこれ書きましたが、最近手に入れたのがこちらの五寸皿です。
それ自体が割合めずらしい赤絵のくらわんかとしては、この手のものは何度か見かけたので、数が多いタイプではないかと思います。
むしろこれこそが赤絵のくらわんかであるとも言いたいほどにくらわんか的な気配も濃厚な絵が描かれていますが、一方で造形としては窮屈で堅くはないものの、かなり薄手で繊細な作りはいわゆる普通のくらわんかとはまるで違うものなのです。
これはつまり産地や時代が違うと考えるのが妥当であって、こういう赤絵のくらわんかの正体は何であろう、伊万里の初期赤絵の一様式ではないかとかあるいはどこか地方の窯の生まれではないかとかいろいろ想像していましたが、これも最近ある方に教わったことから調べてみれば、長崎の長与という窯こそがこういった赤絵のくらわんかの生まれ故郷のひとつではないかという気がしています。

ものがうつくしいということだけで充分といえば充分には違いないのかもしれませんが、うつくしいものがあるのならそれが果たして何時何処でどのようにして生まれてきたのかということを知りたいし、それを考える過程や解明した結果からその先が見えてくることも多いので、やはり感覚だけで終わらずに知の裏付けもしてゆきたいとは思うのです。
知識で目を曇らせることをいつも戒めたあの柳宗悦も「知リテ ナ見ソ 見テ 知リソ」という言葉を残しています。
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by hanakari | 2015-10-12 07:24 | つちのもの

丹波 赤土部 甕

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赤土部の甕は以前にもひとつここで紹介したことがありますが大変好きなものです。
こちらは大きさもあって立派なもので継ぎ土の跡の段差もアクセントとなっているとともに、この打掛した流釉もこの時代の丹波としてはちょっと珍しいものかとも思いますが、それ以上に目を惹くのはこの赤く冴えた発色でしょう。
赤土部とは江戸時代になって様々な技術革新とともに使われるようになった鉄分の多い泥を主原料とした釉薬ですが、残されたものを見れば暗く沈んだ茶色いものも多くその名が示すとおりこのように赤く美しく発色するのは実は割合としては少なかったのではないかと思われます。
こういう釉は原料とその調合とともに焼成の時の条件や冷め方でかなり結果にばらつきが出るかと思われるのである時代のある窯場固有のものを後になって再現することは実際には不可能であるように思います。
同じような泥を原料とした釉薬はこの時代に信楽や越前や各地の窯で盛んに使われましたが、丹波のある時代の一部のものに見られるような美しい赤は他では見ることが出来ないものでした。
赤くしようとして赤くするのは極めて困難なことで、またそういう意識がそう働いたとも思えないような雑器の仕事の中での出来事です。
おそらくはこの土地の原料、山の傾斜や湿度、薪の種類や焚き方などの条件が偶然揃った時にこの奇跡が起こったのではないかという気がするのです。
丹波でも17-18世紀前半のみに見られるもので江戸中期になればこの調子の赤土部は失われてしまいました。
きっと何かの条件が変わったのでしょう。






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by hanakari | 2014-01-25 09:00 | つちのもの

藤井佐知さんのピッチャー

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藤井佐知さんの作品を見てお名前を知ったのはもう随分昔のことで、黒地に黄色い線がうねうねと走った蓋物でした。
それは骨太ではありながら非常に冴えた造形の感覚とともに低火度釉独特の美しい風合いの陶器で、それ以来ひとつ手元に良い物をと願っていたのです。
そう多作の作家ではないとはいうものの思いを込めてずっと探していたので何度かのチャンスはあったのですが、買い物のことですから値段が折り合わなかったりでなかなか御縁のないままに年月が過ぎたのです。
その後たくさんの作品を見る機会もあり、ますます思いを募らせていましたがようやくこのピッチャーを最近手に入れることが出来ました。
藤井佐知さんの作としてはもっと良い物がいろいろあるのは確かですが、それでも弛緩のない独特の美意識とあの美しい風合いを備えています。

これは自分の場合でもそうなのですがスリップウェアに取り組む仕事は、あの独特の様式感がはっきりした英国のスリップウェアが魅力的でありすぎるが故になかなか古の仕事の影のようなものになりがちな弱さも感じます。
これは知れば知るほど抜け出しにくい罠のようなもので、なかなか厄介なことだと思いますが、かと言って勉強不足の表面的な真似っ子仕事に生命があるかというとそうも思えないのが事実で、これはなんでもそうなのですが知った以上はとことん学んで進むよりないかと思うのです。
お手本がある仕事というものの難しさを感じます。
そんな中で今ほど情報に恵まれないという、時代としてもある種逆の意味での恵みはあったのでしょうが、藤井佐知さんや舩木道忠さんのお仕事は英国の仕事に引きずられ過ぎないで真に日本の陶器としてのスリップウェアを生涯求められたという点で大変尊敬しているのです。
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by hanakari | 2013-06-02 21:52 | つちのもの

コーニッシュジャグ

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素焼きの胴の口元にだけ申し訳ばかりに化粧土と釉薬をまとったなんとも粗末なこういう水差しは20世紀になっても英国のコーンウォールで大きさも大小様々に盛んに作られていたようです。
全体の姿や焼成は中世の古陶の伝統を継ぎ、化粧土と黄色いガレナ釉は18−9世紀に盛んに作られたスリップウェアそのままで、非常に英国の伝統的なやきものの陶脈を色濃く引き継いだものかと思います。
ウェットハンドルと呼ばれる轆轤した後に柔らかい粘土紐を引き伸ばしながらかたちしたこういうハンドルの付け方をバーナード・リーチさんが学び、小鹿田や出西などの日本の窯に伝えたものが今ではすっかり定着して、自分もマグカップやジャグの持ち手を立杭の清水俊彦師匠のところで学んだこのやり方で作っていましたがようやく直接教わることができました。
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by hanakari | 2013-04-05 00:50 | つちのもの

丹波 いっちん壺

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あけましておめでとうございます

丹波の窯で幕末期に作られたいっちんの小壷です。
今は失われていますが元々は蓋があって珍味など入れたものです。
いっちんというのはクリーム状に溶いた泥を細く絞り出しながら描く装飾のことで、これもスリップウェアと共通の技法といっていいと思います。
英国のスリップウェアや丹波のこういうものにほぼ同時に惹かれて自分は陶器を作ってみたいと思ったのです。

長い間更新しないでおりましたが2013年もどうぞよろしくお願い致します。
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by hanakari | 2013-01-01 00:01 | つちのもの

古伊万里 半筒湯呑茶碗

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柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司たち民藝の提唱者が民藝という言葉を創り『日本民藝美術館設立趣意書』を発表したのは大正末年のことです。
この時の趣意書の表紙を飾ったのは当時まだ審美の対象として論じられることのなかった青山二郎旧蔵の古伊万里雑器である半筒湯呑茶碗です。
蕎麦猪口と同じようにこの半筒も同じかたちに様々な紋様のものが作られましたが羊歯かなにかの植物を抽象化して斜めに配置したこの紋様のものは中でも印象的で美しいと思います。
口と高台が欠けひびもあって傷だらけではありますが縁あってこれと同じ紋様の半筒湯呑茶碗が手元に来ました。
梅雨から暑い時期にかけてはこういう古伊万里の雑器はいかにも心地よく楽しんで使っています。
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by hanakari | 2012-07-06 13:52 | つちのもの

丹波 赤土部 甕

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江戸初期頃の丹波の甕です。
やきものに興味を持ったころ大変心を惹かれ憧れたのは江戸時代の丹波の古陶でした。
きっかけは岩波文庫版の『工芸文化』の挿絵にあった白地に黒を流した蝋燭徳利でした。
丹波に興味を持って柳宗悦の『丹波の古陶』を繰り返し読んだり、京都からはそう遠くもない篠山の丹波古陶館や丹波立杭に何度も通ったりしているうちに江戸末期の白掛のものにも増して夢中になったのがこういう江戸初期の灰被きのあるものでした。
中でも吉兵衛作とも言われる鮮やかな赤土部に独特の三つ山形に黒く釉を流し、さらに窯の灰をたくさん受けてなんとも玄妙な窯変のあるこういうものに大変憧れるようになったのです。
実物に接する機会もなく掴みどころのなかったスリップウェアとは違い、丹波の古陶は実際に作られた土地に通い現物もたくさん見ることができたし、柳宗悦などの丹波関係の本も読み、実際に自分が陶器を作ろうとした時に実際的な部分や理念に多大な影響がありました。
後に大好きな河井先生と古丹波の接点に居られた清水俊彦師に師事したこともごく自然なことでした。
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by hanakari | 2012-01-20 20:06 | つちのもの

壺屋 佛花器

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琉球時代に壺屋で焼かれた佛花器です。
めりはりの効いた轆轤のかたちに独特の温かみのある白掛けをして飛びかんなを当てたあと色を差して仕上げています。

今では膨大に作られている沖縄の陶器を扱うお店もたくさんありますし、古いものを見つけることもそれほど難しくもありませんがかつては限られたお店にしか沖縄の陶器は置いていませんでした。
ましてやこういう古いものについては濱田庄司旧蔵の売立があると聞いては始発の新幹線に乗り、九州のお店に多くあると聞いては遠くまで訪ねてたくさんのものを見せて頂いたものです。
どんなに好きでもそういう機会を逃してはまず手にすることが出来るものではなかったのです。

ところが情報も物流も非常に発展した今ではいくらでもよいものを見つけて数日後には沖縄から届く時代になりました。
しかしせっかくよいものはあっても自分にはそう多くを求める力はありませんが、それでもとある沖縄の道具屋さんからいくつかのものを送っていただき大変感激したのです。
心躍らせて開ける荷物の中にはいつも郷土のお菓子や泡盛の小さな瓶などが入っていました。
品物がよいのはいうまでもありませんがそういう心遣いをも忘れることのない正直で親切な方でした。

この佛花器もそのようにしてぼくのところに届いたものです。
人間の生涯よりもはるかに長い器物の生命は多くの人の手から手に守り伝えられているのです。
こしらえた陶工はすでになく、琉球のどなたかの佛檀か墓前に供えられた数百年の後に役目を終えたこの佛花器を京都まで送ってくださった方もまた入寂してしまわれました。

蓮を手向けて多々のご好意に感謝と共にご冥福をお祈りしたいと思います。
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by hanakari | 2011-09-29 07:15 | つちのもの